kawazu25の日記

はてなブログ初心者です。毎日投稿は頑張ってやっていきますので応援よろしくお願いします。

ヘイ、ガール

推しが居る人生で良かったって毎日思う。私は自他共に認めるオタクとして生きてるんですけど、マジで思う。毎日思う。推しの居る人生で良かった。なんか、推しという存在があれば大体のことどうとでもなるなとさえ感じる。推しって二文字に私の人生託し過ぎじゃねぇのかと思うけどこれは過言でもなんでもない。いつもありがとう、推し。健やかであれ、推し。

そんな持論がある私にマシュマロをくれた匿名の彼女の推しに異変があったのは昨日のこと。私はTwitterの速報で知った。「俳優三浦春馬、死亡。自殺か」たった一行のツイートにURLがくっついたものが爆速で広まっていくのを数分間ぼーっと見てた。何が起きたのか分からなかった。TLで先にそのニュースを知ったフォロワーが彼の名前をぽつぽつツイートしているのを見てたから、なんだろう?何か賞とかかな?それとも結婚かな?スキャンダルとかじゃないといいなぁ〜とか呑気に考えてたの。不倫問題は拙者もう腹一杯でござるよ〜とか思ってたんだって、マジで。死亡の意味がわからなかった。死亡ってなんだっけ?どういう状態だっけ?って感じよ。人間って驚き過ぎると急に何も分からなくなる生き物ですね。実感したよ。ある種の防衛本能なんでしょうね、人間の。急に飲み込んでしまうと心が誤嚥するから。詰まってしまうから。

 

数分後に意味を理解して、彼のことを思った。元々邦画もドラマもあまり観ないし、恋愛ものもほとんど観ない私。彼の名前、彼の姿、彼の出演作といった感じの脳内連想ゲームで一番最初に出てきたのがブラッディ・マンデイというドラマ。土曜日夜の8時にやってたドラマ。元々その前にやってたルーキーズってドラマがめちゃのくちゃに好きで、その後に放送が始まって流れで観たのが始まりだった。どハマりした。天才ハッカーの役だったんですけど、彼が。すげぇかっこよくてね。語彙力どうした?って問いたくなる表現で申し訳ないんだけども。佐藤健も出てて最高でさ。悪役の成宮寛貴がこれまたオタク女でおめーが嫌いな奴なんぞいねぇ!!と千鳥ノブが躍り出てくるようなキャラクターでさ…。大好きなドラマだった。続編を待ってた。本当に待ってた。あの三浦春馬主演のブラッディ・マンデイが帰ってくる!みたいなね。スペシャルドラマでも良かった。今、コロナで色んなドラマ再放送とかしたりしてたじゃない。ブラッディ・マンデイのこと考えてたのよ、丁度。そのドラマに出てた彼が、主演だった彼が、死んでしまった。急に死んでしまった。

 

マシュマロをくれた匿名の彼女の文章はとても長かった。泣きながら打ったんだろうなって分かる文章だった。誤字が、泣きながら喋って吃ったみたいに見えた。内容は本当に簡単にまとめれば「三浦春馬が死んだ。彼は私の推しで、生き甲斐だった」「生きてほしかった」「私も死んでしまいたい」というもの。この途中経過に実際に生の彼にファンとして会ったときの思い出、いかに三浦春馬という俳優の存在に励まされ支えられて生きてきたのか、愛していたのかが綴られてた。延々と。

私のマシュマロはよくコンセプト無視のメッセージがよく流れてくるんですよ。ほとんどがフォロワーの日記みたいなもんなんですけど。高いウインナー焼いたら美味しくて嬉しかったですとかね。知らんがな!!!というようなことをさも当然とばかりに送ってくるフォロワー(もしかしたらフォロワーではないかもしれないが、じゃあ通りすがりざまによう知らん他人のマシュマロに高いウインナー焼いたら美味かった話を投函してきたのか?何故?という人間の謎に迫らなければいけない気がして考えないようにしている)が溢れてて。多分、大半の人間が私のマシュマロを自宅のリビングか何かと勘違いしてるんだなと思うんです。いいんだけど、別に。可愛いし、自由すぎて。ルフィもこの海で一番自由な奴が海賊王だって言ってたしな。何を人のマシュマロで王になろうとしとんねん。

 

そんな自由人達に紛れて、それなりの頻度で悩みも送られてくる。なんでだろうと思うけど読む。みんな色々苦労してるんだなぁ〜という小学2年生でもまだ気を遣って何か添えようとするだろうというようなありのままの感想を抱く。返そう返そうと思いながら140文字の限界に躓いてなかなか返せなくてすまんな。

 

さて、今回返そうと思った理由は何だったのかは鳥頭なのでもう忘れてしまった。理由考えるよりもまずは返事をしようと思って打ち始めたのかもしれない。あなたがこの記事を読んでくれていたらいいな。そして、あなたと同じように今悲しみのどん底にいる人の目にも触れたらいいな。助けになるかはわからないけど。

 

 

あなたへ

推しが居る人生で良かったが持論の私は、推しを急に失って悲しみに暮れているあなたの文章を読んで泣いてしまいました。名前を打つのも辛いという気持ち、推しで味わいたくなかっただろうなぁ。彼との思い出、彼の何処が好きだったか、彼の舞台の話演技の話人柄の話、色んな話をしてくれてありがとう。私は彼を限られた作品の中の役としてしか知らなかったから、彼をずっと見てきたファンの人から詳しく教えてもらえて嬉しかったです。

 

私がTwitterで彼の自殺という選択を何かの間違いがいいけど彼の選択を間違いとも言いたくないという言葉にしたのは理由があります。まず何より先にあなたの「生きてほしかった」は間違いでもなんでもないよというのは伝えたい。それはそう、きっと誰だってそう。私もそうだよ。

 

私は近しい人を彼と同じ形で失ったことがあります。そして、職業柄死に近いところで毎日働いています。なので、死については日々色々考えます。私が彼の選択を間違いだと言いたくないのはね、人間ってどうしても自殺という形を選んだ人を「どうしてそんな馬鹿なことをしたんだ」とか「残された人の気持ちを考えない最低な奴だ」と責めてしまいがちなところがあると思うんですよ。実際に彼に関するコメントで似たような言葉を幾つも見ました。その人達のコメントもまた個人の死へのコメントにしか過ぎず、間違いでも正解でも無いんですが私はとても嫌だなぁと感じるんです。

 

その命が著名人であれ、一般人であれ、顔も知らんよう知らん人であれ、本名もわからんHNしか知らない存在であれ、その人の去り際や去り方についてそれが間違いなのか正解なのか白黒はっきりさせることは永遠に不可能なことだと思っています。だって自分の人生じゃないし。

 

確かに早過ぎる死でした。勿体無いと思うし、これから先もっと多方面で活躍しただろうしその姿を見たかったって心から思う。訃報ではなく、賞や新たな挑戦で速報になったり話題になったりしていて欲しかった。特に普段から大ファンで彼の出演作も番組も全部追っていたわけでもない私すらそう感じるんだから、あなたの気持ちを思った時言葉にするのは無理だと思った。でも無理なりになんとかやってみようとも思った。文末のわたしも死んでしまいたいを実行されたら嫌だから。そこをなんとかそう言わずに生きてみませんか。どうにかこうにか、この先もやっていきませんか。

 

死についての話題って本当に繊細で、扱いが難しくて、面倒で。それだけ複雑だからってのもあるんだけど。それでも自殺は間違い!と言い切りたくはない。どうしてもそこに至るまでの経緯を考えてしまうから。どんなに辛かっただろう、どんなに心細くてどんなに痛くてどんなに気持ちも身体も重たくて先のことも後のことも右も左も上も下も不安だったんだろうと考えてしまう。確かにその選択をする前に誰かを頼るとか、仕事で悩んでいたのなら芸能界を引退するとか、そういう方向に選択肢を広げられたら良かったのかもしれないけど。その余裕も無かったと言われたらもう「せやな」しか言えんもんね。こればっかりはさ。見捨てるわけでも切り捨ててるわけでもなくて。死って、その人の個人としての集大成なわけです。残された人達の悲しみとか、無念とか、ダメージとかも勿論わかっています。そこを否定しているわけではなくてただ、ただただ、その結論に至るまでの、一生明かされることはないだろう彼の死を選ぶ程の悩みや苦しみや葛藤がずっと渦巻いていたであろうその胸の内を思えば、今は正解不正解よりも馬鹿野郎とかそういう言葉よりもまずは休んでほしい。静かでノイズもSNSも何もない場所で眠ってほしい。穏やかに。彼についてはね、私はこう思う。

 

あなたについては、何て言葉を掛けたらいいんだろう。私はあなたの名前も顔も知らないし、あなたもまた私のことをTwitterでしか知らないけど、どんな言葉を掛けたらいいんだろう。取り敢えずオタクとしてあなたと同じ立場になった時を想像してみた。推しが同じ立場になった時を想像してみた。吐くかと思った。

 

推しって何だと思う?私は、生き甲斐だと思う。喜びだと思う。そして、推しというのは別に人に限ったことではないと思う。

 

あなたの最推しは三浦春馬という名前の俳優の男性だったんだよね。大好きだったし、支えてもらって励ましてもらって彼が生き甲斐だったんだよね。その彼が急に消えてしまったことに取り乱して、酷く落ち込んで、死んでしまいたいとあなたは私に手紙をくれました。推しという存在があるという共通点だけを持って今からあなたに言葉を届けたいと思う。頑張って書くね。

 

死にたくなった時、しなきゃいけないのは「死ぬこと以外の全てをまずする」だと私は思ってる。そんな気力はない、そんなことができていたら自殺する人なんて居ないってよく言われるんですけど、それでもこれしかない。何で言い切れるかって私がそれをやって今生きているから。死んでしまおうと思って首を吊る一歩手前まで行ったことがある。マジで。マジ寄りのマジ。ただ、この理由については今死にたいあなたに延々聞かせるもんじゃないと思うから端折る。

人間、本当に死のうと思った時案外あれこれ考えてないものです。散々最初の方に彼の胸の内がとか書いたけども。あ、コンビニ寄って帰ろみたいなノリです。あ、死のうみたいな。プツンと切れるって表現、あれほんとうにそう。今の今までそんなに考える位頭の中に脳味噌詰まっとらんわって量の悩みや、考え事や、残される家族のことや友達のことやTwitterのアカウントを消してもらうのは誰に頼むかとか葬式に絶対上司呼ばないでほしいなとかいうとんでもねえ量の考えが濁流のように流れ込み続けるような感覚。控えめに行って地獄。横になっても縦になってもその濁流が止まることがなくて、ある日本当に突然に「そうだ!死のう!」と思った。目の前が明るくなったようにさえ感じたの今でも覚えてる。

 

結局、結論だけ書けば犬がね、ついて回ったんです私に。変だなって思ったんだろうね。おもちゃを持ってきたの、一番気に入ってるやつ。そして私の横にひっついて丸まった。私、Twitterでよく泣いたわとか号泣したわとか言うし本当に泣いてる位よく泣くオタクなんですがあの時は盛り無しで人生で一番泣いたと思う。ごめん、ごめん、って大泣きしながらドアノブに掛けた紐をゴミ箱に捨てたこともずっと覚えてるよ。犬居なかったら死んでたんです、間違いなく。だから犬も私の推し。推しは人だけじゃないって、そういうことなんですよね。

 

きっとあなたは今マックスで死にたいと思う。ちょっと勢いついたら死んでしまう。こうもあっさり死ぬかねって位死ぬ。あっさり塩味も目じゃないほどあっさり死ぬ。形も内容も違うなりに経験したから言うんですが、人間って死のうと思えばいつでも死ねるよ。今じゃなきゃ駄目なら止めないんだけど、別に今じゃなくてもいいなと少しでも思えるなら少し待ってみませんか。

 

いっそ死ぬ前に、彼の出演作全部観てみたりしませんか?多分暫く観てないものもあると思うんだよ。この作品の彼のここが良かった、ここが凄かった、ここが好きだとか改めて感じるものをルーズリーフとかでいいから書き出してみるのもいいんじゃないかな。もし彼が漫画原作の作品に出たのであれば、その原作の漫画を読んでみるのもいいかもしれない。演じる上での彼の努力とか、姿勢とか、考えとか見えてくるものがあるんじゃないかな。雑誌もほとんど保存してるみたいだから、インタビューを古い順から最新のものまで読み直すのもどうだろう。何回も読み込んだだろうけど、今だからこそ違った言葉に聞こえたり彼が一生懸命生き抜いた人生に対して思うものももしかしたら出てくるかもしれないよ。舞台のチケット、感想を書きためたノートも読み返してみてほしい。何を思ったのか、感じたのか、受け取ったのか。彼の死を受け入れ切れないなら、生きてる彼を観たらいい。彼の言葉を読めばいい。どうせ死ぬんなら、傷に塩でも何でも塗り込んでいいでしょうが。

 

趣味はありますか?何が好き?食べ物でも、場所でも、本でも、アニメでも、映画でも、ドラマでもいい。旅が好きなら何処に行きたい?読みたいと思ってた本は無い?気になってたアニメや映画は無い?これもルーズリーフで構わないから書き出してみてほしい。埋まらなくたっていいから。書くのが辛ければAmazonプライム、ネットフリックス、今色んなサービスがあるよね。気になった作品片っ端から観たいものリストに突っ込んでいってもいいよ。その作品の数が寿命だよ。全部観るまでは、ちょっと生きてみませんか。

 

好きな作品はある?私は漫画のワンピースが大好き。まずは生きようって首吊るのやめて生きるのに切り替えた時、一番最初にやったのはワンピースを1巻から読み直すことだったの。好きなシーンや台詞を見る度にノートに感想を書いた。あなたに勧めたいのは、ノートとペンを買いに行くこと。自分の気に入ったデザインと機能性のものをじっくり選んで買ってください。ノートはなんでも受け入れてくれるよ。ネガティブなことも、ポジティブなことも。これ一冊書ききるまではちょっと延期しようかなーってノリでいい。今は。人生に疲れている時って新しいものを観るのが難しかったりするから、観たことあるもの読んだことあるものでいいと思うんだけどそれについて兎に角書く。書いて、書いて、書く。死んだら観れなくなる、読めなくなるものばかりだから感想や感じたことを残してから死んでも別に遅くない。案外、その中に続きや続編が気になるまだ出会ってない推しが埋もれてるかもしれないよ。何度でも言うけど、死のうと思えばいつでも死ねるからね。

 

彼の選択然り、あなたがこれからする選択を私は決めることは出来ない。最後は結局あなたに選んでもらうしかない。もしも終わりにするなら寂しいけど止められない。でも、いつでも死ねるなら今はやめようかなって思って立ち止まってくれるのであればそれが一時的なものであったとしてもすごく嬉しいよ。

 

彼があなたにとって絶対的な存在だったのは分かる。色々考えたんだけど、俳優っていう職業ってすごいですよね。例えば名前も姿も見かけたことない人だったとしても、その出演作を見るとあれってこの人だったんだ?ってことがよくあるんですよね。俳優もだし、声優もそう。演じる仕事をしている人は演じただけ姿も名前も人生もあるんだなぁすごいなぁって思う。三浦春馬くんのことで改めてそう思った。私は彼といえばブラッディ・マンデイがすぐ浮かんだんですけど、あとからごくせんって言われて「あぁ〜!!!!」ってなったの。出てたわ〜!!!って。色んな作品に出て、色んなところに彼が生きて働いて残したものがこの先もずっと残っていくのだなと。この先、彼の新しい姿を見ることが一生出来ないのは本当に寂しいことですね。推しの話が全部思い出話になってしまうのも胸が張り裂けてしまいそうになるよね。でもどうにか、どうにかこうにか、やっていくわけにはいかないかな。死ぬなとは言わないから。無理強いはしないから。

 

あなたの推しの話をまた聞かせて欲しいです。彼の話でも、好きな場所の話でも、本でも映画でもアニメでも音楽でもなんでもいいや。何回言うねんサビか何か?って思われても仕方ないの承知で言うけども、死のうと思えばいつでもその気になれば余裕で死ねるんだわ人間なんてさ。だってちょっと高いとこから落ちたら場合によっては死ぬし、刺されても死ぬし、轢かれても死ぬし。マンボウのこと笑ってる場合じゃねぇのよ。お前らも割とすぐ死ぬぞ人類って話よ。仕方なしに生きてみるのもまた手だと思うんです。どうでしょうか。

嫌だわ!って言われたらそれまでなんですけど

それでもあなたとまた会えたら、話せたら、私は嬉しいよ。