kawazu25の日記

はてなブログ初心者です。毎日投稿は頑張ってやっていきますので応援よろしくお願いします。

人生ポスト(前編)

 手紙の送り方を知っているか。そう聞かれた時、馬鹿にするな、と言いたかったが、僕は手紙を送った経験があまりない。就職活動のお礼状なんかは、マニュアル本通りにやったが、それ以外で、手紙を送る機会なんてなかった。

「これ、届けたいの」
 206号室の平野さんは、僕の担当する入居者だ。老人ホームには、色々な事情を抱えている人が多い。年をとることが、幸せなのか、寂しい老後を過ごす人たちを見ると、僕はなんだか分からなくなった。

「また、預かっちゃったの」
 リーダーの佐々木さんは、呆れた顔をした。
「一度出したけど、宛先不明で戻ってきたって、何度も言ったんだけどねぇ。やっぱりボケちゃってるかしら」
「これ、どうしましょうか?」
「とりあえず、事務所に仕舞っておいて」
 平野さんのファイルには、もう5通も宛先不明の手紙があった。中橋富蔵さんに宛てた手紙は、読まれることなく、事務所に眠っている。
「平野さん、独身って聞いてたけど、想い人でもいたのかしらねぇ」
 佐々木さんは、口は悪いが、いつも平野さんのことを気にかけていた。
 平野さんがここに入所してきたのは、昨年のことだ。僕が初めて担当を任された入居者ということもあって、何かと話をしていた。遠い親戚も亡くなり、身寄りのない平野さんは、1日の殆どをベッドの上で過ごしていた。レクレーションや散歩にと、声をかけるが、平野さんはあまり人付き合いが好きな方ではなく、周りとも打ち解けていないようだった。

「お疲れ様です」
 6時を過ぎた頃、二ヶ月前、夜勤中心のパートで入った玉木千尋が、半分緑色の髪の毛をして出社してくる。夜勤は人手が足りなく、千尋の無愛想な態度も受け入れるしかない雰囲気があった。
「今度、ライブやるんだって」
 佐々木さんは、どうにかコミュニケーションを取ろうと必死だ。千尋は、短く返事をするだけだった。職場にギターを抱えて出勤したこともある。そんな千尋を、佐々木さんは、今度うちの親睦会でも弾いて欲しい、等と笑って受け入れていた。

「平野さん、最近どうですか?」
 千尋が、珍しく話しかけてきた。
「どうって、うん、また手紙を書いて渡されたよ」
「へぇ」
「宛先不明で戻ってきてるけど、平野さん、また書いちゃうんだよね」
 突然、千尋は、平野さんのファイルを取り出す。千尋は、僕にこう言った。
「車、持ってますよね?」

 次の日、シフトが休みだというのに、僕は夜勤明けの千尋を迎えに職場にきた。ここだけ切り取られれば、付き合っているように見えるかもしれない。少し緊張する僕とは違って、千尋は、遠慮なしに助手席に座った。
「寝なくて大丈夫なの?」
「オールは慣れてるんで」
 バイトをいくつも掛け持ちしている千尋が、一番続いているのがこの仕事だと言った。二ヶ月が最長と聞いたとき、それはそれで千尋らしいと思った。

「この辺りだと思うんだけど」 
 車を止めると、そこには大きなドラッグストアができていた。 
「こっち」
 千尋は、向かいの民家のインターフォンを押す。千尋の行動力に驚いているうちに、民家から平野さんと同じくらいの年の男性が出てきた。
「中橋富蔵さん、ご存知ですか」 
 男は、勧誘かと思ったのかすぐに扉を閉めようとする。僕は、急いで上着を脱ぎ、サクラノハナ老人ホームのネームプレートを見せた。  
「平野さんから手紙を預かっていて、お渡ししたいんです」
「平野さんって、八重ちゃんのことか?」
 男は、扉を開けてくれた。

ネットとの上手な付き合い方

皆さん!ネットしてますか!してないとこの文章読めないですよね!私も仕事が死ぬほど忙しいと言いつつ暇さえあればネットを見て、こうやって文章も書いてるのでとんだ依存野郎です。
そんなインターネッツですが、すごく昔、まだテレホーダイという古(いにしえ)のサービスを使用しないと電話代がとんでもないことになってしまう時代がありました。(それでもネットとしては普及していた方だと思います)
その時代に私が入り浸っていたのは「2ちゃんねる(現5ちゃんねる?)」という匿名掲示板でした。そこでは皆ハンドルネームも何もなく(コテハンと言われている「固定のハンドルネーム」で書き込みをする人もいましたが、大体匿名で書き込んでいました)、誰が何を言っているかわからない魑魅魍魎跋扈するそんな世界。他の友人はそんなところにわざわざアクセスするようなタイプでもなかったため、自分はなぜかそれを「皆が知らないアングラな情報も知っている特別な自分」みたいに思ってしまっていました。
でも別に世界からアクセスできる掲示板ですし、そこに書いてあることが真実なのか嘘なのかもわかりません。ただそこの掲示板の住民は常々こんな呪文を唱えていました。
「ggrks」「半年ROMってろ」
これは今思うとめっちゃ優しい先人の知恵だなと思ったので昼飯を食べながらアウトプットしようと思ってこれを書き出しています。(最後は案の定脱線したので最後まで頑張って読まなくても良いと思うし、この文章は未来永劫無料です)

ggrks

この呪文の読み方が「ググレカス」です。意味は「質問する前にGoogleで調べてこい」です。これは今割とやれてない人が多い気がする、でも絶対抜けちゃいけない心得だと思います。(一応Googleは常に検索について精度を上げていき、胡散臭いサイトは弾くように努力しているそうですが、いたちごっこは否めません。なのでググった先が本当に正しい情報かも判別する必要があります…)
ここで反射的に「なんで調べなきゃダメなの!?面倒臭いよ!知ってるなら教えてくれたっていいじゃんケチ!」と思うかもしれません。それにググって(これもGoogle検索する、から発生した新語ですがすっかり定着した気がします)正しい知識のサイトに辿り着いたとしても、やたら難しい論文とかが出てくるばかりでは専門家じゃないんだし、もう嫌になってしまうでしょう。
そんな必死の中で調べ、読んでみたら「訳が全くわからんかった論文」を「めっちゃわかりやすく3分で解説した!」とかいう動画があったら飛びつきたくなりませんか?私はなります。
でもその解説が本当にその論文の文意を歪めずに解説してくれているかは、結局自分で訳が全くわからんかった論文(これを一次ソースという)を読まないとわかりません。
もしも論文に「Aという薬を使ったらBという症状が改善すると思って実験したけれど、無作為に使用するとはちゃめちゃに副作用が出てしまった。でもCというグループを除外して実験したらBという症状が改善したのでAはCというグループ以外の人には有益だったよ」と書いてあったとしましょう。
そして3分まとめ(これを二次以下のソースという)には「Aという薬を使ったらBという症状が改善すると思ってた研究者がいたけどはちゃめちゃに副作用が出てしまったんだ!」と解説されていたとしましょう。

この状態だとまとめは嘘はついていません。でも「肝心な情報が抜けている」状態です。なのでまとめ動画だけを見ると「うわ!Aって薬は危険だ!」という誤解が生まれ、拡散する危険性が出てきます。
これは逆でも同じことが言えます。一次ソースの論文に「Dという薬は妊婦さんには危険だけれどEという症状にめちゃくちゃ効く!妊婦さん以外はEに悩んでいたらDを内服しよう!」と書いてあったとして、それを簡易まとめしたところには「DはEにめっちゃ効く!」だけ書いてあったとしたら?
妊婦さんがEという症状に悩んでいる時これを読んでしまったらめっちゃヤバいですが、多分多くの人は気づかず「すごいわかりやすい!」と飛びついて拡散を手伝ってしまうんじゃないでしょうか。
そしてもしもDを妊婦さんが使ってとんでもなく危険な目にあったとしても、そのまとめ動画は妊婦さんに何も保証してくれません。
だから私は今も何か疑問があったら自分で自分に「ggrks」と唱えます。
ネットで見るキャッチーな商品や、誰かへの賞賛や批判だけで自分の価値観を決めてしまうのはすごく危険です。
でも引っかかっちゃうんだよなぁ〜〜〜わかる。

半年ROMれ

これは2ちゃんねる掲示板にある色々なローカルルールから生まれた言葉です。ローカルルールは皆さんも日常で経験していると思います。(勤務時間15分前に来いとか明らかに労基的に問題になるやろ的なのから、出張のお菓子はこれを買ってこいとか理不尽なものも多いですよね…)
2ちゃんねるのこの「半年ROMれ」は「ここの独特なルールはかなりややこしいのでルールがよく理解できない場合は少し(半年までいかないにしても)流れを見て(ROMる=見ているだけで書き込まない)、流れやルールがわかってから書き込むんやで」という意味です。そうすれば「スレチ(スレッドの趣旨とズレているので書き込んでも期待する答えは返ってきませんよ、という優しい忠告文)」と最初から聞く耳を持ってもらえなくなることを防ぎつつ、自分の言いたいことを書き込め、的確なレスがもらいやすくなります。
日常でも同じです。その場の空気感がわかるまでは沈黙しておくことはとても大事だと思います。私は鉄砲玉みたいな行動が多いのでこうしたらいいよって言える立場にないのでこれを読んだ人と一緒に頑張ってこれからちょっとずつ直していきたいなと思ってます…。

ネットで誰かに絡まれたら

ネットというか私の場合はTwitterがメインのSNSなのでどうしてもTwitter基準になりますが、<毎日絶対どこかの誰かが喧嘩し、放火しているとんだスラム、それがTwitter>という認識で私はTwitterと付き合っています。
スラムで生活したことがないのでスラムについてggrksと言われますね、これ。

以下はたとえ話です。
街中をフラフラ歩いていて初めて見る不思議な遊具を公園で見つけたとしましょう。「わーこれ面白いなぁ!」と呟いた瞬間に突然その辺にいた人が一斉に近寄ってきて「私はそれにいい思い出がありません!」「面白いって言いますけどその遊具のせいで●年に◯人の子供が怪我をしたという事実を知ってもそんなことを言えるんですか!?」「私はその遊具の近くでいじめられ、今も辛い思い出があります…あなたのツイートに傷つきました…」と物凄い勢いで様々な人が話しかけてくるのを想像してください。めっちゃ怖くないですか?
そんな街がTwitterです。
Twitterでそんな目に遭わないために出来ることはやはり「半年ROMってろ」に通じる気がします。どんな人がどんなツイートをして全く知らない人に恐ろしい絡み方をされているか?を見定め、「わざわざ事故った遊具の話をしないようにしよう」とか、「遊具がそんなにやばいものとは知らなんだ…「よく知らないのに呑気なことを言ってすみませんでした…」と素直に謝罪ツイートしてからツイ消ししよう…」とか。
でもそこまでしてツイートしたいか!?と言われるとTwitterにそこまで神経を使うのも馬鹿らしいですよね。
(そもそも「本当にその遊具で怪我をした人がいたのか」とかの一次ソースがわからないし、本当に危険な遊具なのであればそれを公園に置いていた管理者の方が叩かれるべきではないか?という気がします。)

でも、どんなヤバい街にもいい人はいます。ハートフルな人との出会いを体験したらヤバい街Twitterから離れ難い気持ちが芽生えてもおかしくありません。というか私がその気持ちでTwitterを跋扈しているのでもうヤバい人に絡まれてもいちいち「え!?す、すみません…」とそこまで凹まないようにしています。
街でなくてもいいです。フラッと入った居酒屋でたまたま頼んだ小料理が美味かったら「美味〜い!」と感想を言っていいじゃないですか。
そこに突然隣の席から「はぁ?この店でその小料理頼むとかど素人か!?」と怒鳴られても、店の外から「そんな程度の小料理で満足してるなんて味のことを語る資格がないwww」と罵られても、「お金がなくてそういう外食ができない人への当てつけで美味しいとか言わないでください!」と言われても、こんなの現実世界で起こったらわざわざ話しかけてきた人が変な人ですし、多分そんなのに巻き込まれたらあなたは無言で店を出るんじゃないでしょうか。(リア友と同席してて言われてもちょっと引くと思う)
だから「この料理美味しい〜」とツイートして謎すぎるリプがついたら無言でそのリプを無視していいんです。いいだよ、マジでいいの。わかるか!!普段のTwitterやってる自分!我!我に言ってるんだぞ!一々返すな!何しとんねん!?でも確かに自分はリアルでこういう人に絡まれたら「!?…よくわからんから相手の話をまず聞こうか」と思って真面目に会話しようとしてしまうところがあるな!それもやめよう!ネットで現実世界のおかしな行動を修正する機会を我得たり!にしよう。(戒め)

脱線しました。昼休みも終わったし、仕事の合間に書いてたらこんな時間やないか。
もう一個大事なことがあるんだった。これを自分のために文字化しておかないときっと困るから書いておこう。

ネットで誰かが誰かの悪口を言っていたら

めっちゃ見る。「あの人(F)にこうされて私(G)はこんなに辛かったです!」
マジでTwitterは怖いぜ。報復の嵐とかになってたら騒ぎをみたら群がる習性のある完全なるやじうまである第三者もくんずほぐれつワーキャー言ってたり。こんなのリアルじゃ中々(自分の周りでは幸いなことに)お目にかからないぜ!
でもその波には安易に乗らないようにしよう!(自分への再度の戒め)
だって知らんやんその人らのこと…。赤の他人じゃん自分…。マジでヤバいことされたならTwitterというスラムで叫ぶより警察に行くか弁護士にGOが現実社会のまともな対応な訳ですよ…。匿名でも割と開示請求出せますし…。
義侠心で「なぁ〜にぃ〜!ひどい奴だなぁ!F!!」って参戦してから、実はGが嘘ついてたとかになったら目も当てられない。だから何か揉めてる人を見ても絶対ツイートとかで言及しちゃダメ。わかるか自分。ダメなんだよ。どんなにGが可哀想に見えても真実はいつも1つじゃないことだってあるんだ。Fも悪いしGも悪いかもしれん。Fに罪がないかもしれん。全くわからん!そもそも善悪を決定する権利は一般人の自分にはない。第三者で話し合いして善悪を決めるのはやはり刑事か民事になるわけだ。だから飛びつくんじゃないぞ!!いいか!自分!!!!

これをうっかり読んだ人へ

私の時間潰しというか脳内アウトプットをうっかり読んでしまった人がここまで読んでいたら、折角なので一緒にちょっと今まで書いてあることを考えて欲しいかもしれない。今やネットは大概の人に開かれていて(一部国などを除く)、誰でもすぐに15秒だけなら世界で一番有名人になれてしまう時代が実現しております。これはいいことでもあり、怖いことでもある。一瞬だけ有名になった時、高揚感を感じない人は結構少ないと思う。第二第三の高揚感を求めるがあまり、自分の個人情報や自撮り、知り合いの面白い話でまたウケようとしかけたら立ち止まろう。自分も他の人でバズった人も同じ感想。「バズは中毒性があるから怖い」
いいねが沢山ついたら皆に認められたような、受け入れられたような錯覚を覚えてしまう。
しかも正論棒でバンバン誰かを叩いて手に入れたいいねは謎に「相手があんなことしたから悪いんだ!ここまで叩かれるようなことをしたのが悪い!自分は正義の執行人なんだ!!」みたいになってしまって歯止めがどんどん効かなくなってしまうけれど、それが冤罪だったらどうなるだろう?
現実世界には持ち出せないいいねに脳をジャックされるのは時間の無駄だし、メンタルがしんどくなってしまう。その上冤罪の人に間違えた正義棒でバシバシやった結果、名誉毀損の片棒を担いだことになることだって実際にある。
自分はすごくカッとなりやすいと思うし、こういうのにハマってる時はバリバリ過集中を起こしているなぁと俯瞰して感じることも多いので、今日なんとなくこの文を書いてみました。
でも何度も書くけどいい出会いもあるんですよね、インターネッツ
インターネッツやってなかったらいろんな人と会えていないもの。だからインターネッツという道具をうまく使って、今後もうまいこと人生生きていきたいなって思いつつそろそろ定時だからこの文は終わりです。
コンパスだって普通に使えば綺麗に丸が描ける便利道具だけど、その気になったら人を傷つけることができちゃうじゃないですか。だからって「危険です!学校にコンパス持ち込み禁止!」ってしてたら何もできなくなってしまう。(鉛筆だって危険だろ、ってなっちゃうし)
振り回されないように使いこなすって話は誰でもそうだと思う。
ちょっとだけこの意識があるかないかで変な狂信者にならなくて済むかもしれないので、一緒にブルブル震えながらネットを有効活用しましょう。じゃあ定時なので帰ります。さようなら。

他人(人)の勝手

本当に、他人(ヒト)とは、勝手です。笑

勝手に、好意を持ち、
勝手に、嫌い、怒り、
勝手に、尊敬し、
勝手に、敵意を剥き出しにしてくる。

時に、わざわざ、君はこうだね、と
ネガティヴなことを直接言ってくれたりする場合さえある。

昇進すれば、
目立てば、
綺麗になれば、

あっという間に寄ってくる。


一方で、
そのポジションから降りた途端、
普段のパッとしない姿格好になった途端、

引き潮の如く、サーっと引いてゆく。笑

なんじゃこりゃ。笑

少し前までだと、
いちいち、こういう他人の言動に
反応してた。

褒められれば、自惚れて、有頂天。

そして、自分もそれと同じようなこと、誰かにしてた。


今思えばね、外側の、「他人の言動」って、
私と全く関係ないの。

その人が私をどう思おうが、
私との距離をどのように変えようが、
私とは全く無関係。

だって、そこ、私がコントロールできないから。

私、その人じゃないので。

なのに、それを

あの人のせいで、
とか、
あの人がこうしたから、
とか、

勝手に相手のせいにしてしまうわけなのよ、
ヒトというのは。

 

(「誰かのせいにする」ということが、
他人軸で生きているということでもあるんだけど。)


相手に勝手に期待して、
「相手がこうあるべき」
って思っちゃうわけなのよ。


誰がなんと言おうが、
どんなに自分との距離感を変えようが、

自分は、影響されないでいれば、
自分の現実は、変わらない。

自分の内面がいつも「いい気分」でいられれば、
そういう勝手な「外側」にも振り回されない。


相手の言動、気にするのやめると、ほんと平和。
気にしないことが難しければ、
環境を変えてしまえばいい。


(ただ、目覚めると、別な意味で、平和とは言えなくなるけど)

相手は、どんなに、何を期待しても
変わらないよ。

相手に〇〇してほしい!から自由にならないと
人間関係で消耗し続けるよ。

会社でも、仕事でも、恋愛も、親子関係も、友達関係も。

それ、相手をコントロールしてることにもなるよ。

相手に〇〇してほしい!
より、自分の受け取り方、捉え方を変えるのが一番早いし、確実。

 

相手のせいにすることは、相手の人生を生きてることだよ。

自分の人生を、自分の命を、楽しもう、大切にしよう。

他人と自分自身の能力を比較して劣等感を感じる必要はない

皆さんお疲れ様です。
最近SNSを見て自分はダメな人間だとか劣等感を感じてしまう人が少なからずいるようですが私は気にする必要が無いと思っています。

何故かと言うとSNSでそのような実績を作って表現している人は限りなく少ない人達です。

SNSが存在することによってあからさまに『すごい人』というのが簡単に見つけられるようになったからです。

能力差はそれぞれあるし
成長速度が違うのは当たり前です。

SNSという誰でも発信できるものが出来てから比べるレベルが自然に上がり上げすぎて自分に劣等感を感じてしまう

ステージが違うのだから当たり前でそんなので
自分を過小評価も過大評価もありません

一般レベルという表記があれば『自分は最低限このレベルまでにはならないといけないのか…そんなの無理だよ自分は標準レベルではないのかな』と自信を失ってしまうだけだと思います。

私が会社を辞めた理由の一つに
『同僚の成長速度の速さ』があります。

正直誰にも話したことは無いですが、
実は心の中ではこれも弊害となっていました。

定時になり帰ろうとすると、同僚は残業を希望し常に何かを吸収しようとする姿勢の彼の様子をみていると『自分も何か出来ることを探すべきか』と危機感を感じては、劣等感を感じていました。

これがもっと上昇志向があって意識の高い人間であったらそれを励みにして頑張れたのだと思います。

でも今思うとそれは上司が考えるペースでやって言っても全く問題はないのに何かに自分て理由を見つけてしまい急かされて自分で自分の首を絞めていると簡単にわかりました。

人と比べる事は時に成長を促し
時に焦りを産ませ劣等感を持たせる

比べ方を考えことが必要です。
例えば私はサッカーをみます。

ファンの中にはサッカー選手名指して下手と言ったりサッカーにあったり批評することが当たり前のように起きます。

その会話の中で『おまえがじゃあやってみろ』という反論がありますがそれは少し論点がズレていると思います。

プロの選手はお金をたくさんもらぅてプレイをします。上手くいった時には賞賛され、ミスが目立ちチームが勝てないと批判されます。

私たちは評価をする視聴者として選手をみます

例えば

政治家になったことのない一般人は
 不可解で不甲斐ない政策のせいで社会を混乱させてしまった政治家のことを批判する権利や資格なんかない 
高卒以下の低学歴な一般人は
 学力指導の能力が著しく低い教師のことを
 批判する権利や資格なんかない

これが正論になってしまいますね

比べ方とは少し違う話になりましたが、私たちはイーロン・マスクやスティーブジョブスと比べたりもしないし劣等感も持ちません。

それをもう少しランクを落としていけば自分の余裕を保てると思います。

人と比べて劣等感を持つということは逆に自分にはそれだけやれる能力があるという過大評価があるような気がします。

それがギリギリ追い越せるか抜かされるかならいいかもしれませんが圧倒的差があるのに劣等感を持ってても上手くいくどころか悪くなる一方

多くの人が自分の現在地をそもそもわかってない問題を解決するべきだと思います。

対立するコミュニケーションについて

 

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他者との考え方や価値観の違いが原因で、一緒に働くことに抵抗を感じるようになることがあります。

十人十色と言いますが、人がいる数だけ考え方や価値観は存在するわけで、同じ考え方や価値観の人とだけ一緒に働くことは不可能です。

もしそういう環境で働きたいのであれば

自ら起業して、考え方や価値観の合う少数精鋭チームにして、考え方や価値観の合わない人を排除していくか

フリーランスとして独りで働くか

のいずれかしかありません。

ただし、少数制チームであっても、商品に対して同じ考えだと思っていた仲間が、マナーについては考えが違うなど、テーマが変われば考え方が違うという現実に、ある日突然気づかされることがあります。

また、考え方や価値観が近いなりに、今度は近い中の些細な価値観の微差が気になり始めます。

フリーランスとして働く場合も、協業で成果を出すことを求められることは多く、異なる考え方や価値観の人と一緒に仕事をする機会は訪れます。

そう考えると、考え方や価値観の異なる人と共に1つのものを作り上げる場面は、どんな働き方でも起こり得ることであり、何らかの答えをまとめて商品やサービスにする上で、考え方の違う人たちといかに上手くコミュニケーションを取っていくかという技術は大切です。

ここでは、考え方や価値観の異なる人とのコミュニケーションについて考察します。

正しさを追及しない

コミュニケーション研修でよく使われる寓話があります。

今から100年前に仲の良い夫婦が暮らしていました。

ある日、夫は盗人と間違われ無実の罪で牢屋に幽閉されてしまいました。

妻は夫の無実を証明し夫を牢屋から出すために、捕らえられたときのことを聞き取ろうと夫に会いに行きました。

妻は牢屋の番人に「夫に会わせてほしい。」と言いました。

牢屋の番人は妻に「俺と一夜を共にすれば会わせてやろう。」と言い、妻は夫を助けるために仕方なく要求を飲みました。

妻が訪ねて来たことに驚いた夫は「どうやってここに来たんだ?」と妻に尋ね、妻は正直に事実を伝えました。

夫は激怒し「お前とは離縁だ。二度と俺の前に現れるな。」と言いました。

この話には、夫、妻、牢屋の番人の3人が登場しますが、3人の中で一番悪いのは誰かと質問すると、意見が分かれます。

夫が悪いという人、妻が悪いという人、牢屋の番人が悪いという人で、3つのグループに分かれるそうです。

なぜそう思うのかという問いに対して、それぞれ説得力ある理由を根拠を交えて語ります。

どのグループが最も正しいのか決めようとしても、延々と答は出ません。

どのグループももっともな意見です。

意見が対立するとき、どちらか一方が正解だと思わないことです。

人はみな、自分が正しいと思っています。

自分の意見を通そうとすると同時に、対立する相手の意見に対して、間違えを正そうとしてしまいます。

良好な関係を保つには、正しさに固執せず、人はみな考え方や価値観が違うことを受け入れることです。

「お互いが違っていて良い」とした上で、相手のことを分かり合おうとする姿勢が大切です。

職場であれ、家族であれ、分かり合えないことを認めた上で、分かり合おうとすることが大切です。

 

 

 

 

会社の理念は共通の価値観

しかし、仕事においては、みんなで1つの方策を決めて進めなければならない状況があります。

そのようなときはどうすれば良いのでしょうか?

世の中に数ある会社の中で、社員が1つの会社に集まって働く理由について考えてみましょう。

それは、その会社が重んじる理念と目指しているビジョンに共感しているからです。

どの業界のどの業種でも、似たような商品やサービスを提供する会社は複数あります。

その複数の会社の中であえてその会社で働くのは、働く志をともにするからです。

また、企業の事業活動には目的があるので、一緒に働く以上はその目的-理念やビジョン、ルールに沿うことを社員にしてもらわなければなりません。

社員が入社を決心した決め手は個々に異なるかもしれません。

給与、福利厚生、勤務時間、通勤時間、仕事の内容、休日の取りやすさ…

しかし、入社を決めて会社や店舗、事業所に所属して働く以上は、その共同チームが目指す目的に沿って同じ志を持って働く必要があります。

ですから、理念やビジョンに共感できなければ、一緒に働くことが苦痛になりますし、会社も本来の目的を叶えられないので、そこで働くことは社員にとっても会社にとっても、どちらにもメリットがないことです。

会社の理念やビジョン、ルールの策定はそれだけ大切なものですし、それが社員の行動を制限するものにもなります。

社内で異なる意見が対立した場合には、この理念やビジョン、ルールに立ち返って、どういう方策を取るのかを選択することになります。

会社の理念やビジョン、ルールは、所属する人の守るべき価値観です。

言い換えれば、理念やビジョン、ルールに関係ないものは互いに尊重され認められるべき価値観になります。

例えば、「世界中の子供たちの笑顔をつくり出し、思いやりある対応をすること」を理念にしていて、「働く生産性をあげていく」ということが理念やルールにない場合、「仕事を同時並行に処理するか」「1つのタスクをミスなく着実に処理するか」という異なる価値観は、どちらも尊重されるべき価値観になります。

また、「無理な挑戦はしない」というのがルールにないのであれば、「そのやり方は運営側の負担が大きいからやめよう」という判断をする前に、「そのやり方が子供たちの笑顔をつくりやすいのであれば、どうすればできるかを考えよう」という方向に進めることになります。

仕事は同じ価値観を持つ人たちが集まらないと楽しく働けません。

しかし、価値観は十人十色。最も重要な価値観は共有し、それ以外の価値観は認め合うことです。

会社の理念に沿って、その判断を公正に行うことがリーダーには求められます。

 

 

 

 

 

共通点(本来の目的)をみつける

チーム内で意見が割れた時は、考え方や方法の違いに固執して、互いのプライドが対立してしまい、本来の目的が見失われてしまっていることがあります。

そんなときは本来の目的に立ち返り、共通点をみつけていくことです。

共通点を見つけることがなぜ大事なのでしょう?

初めましての方と親しくなろうとするときは、たいていは共通の話題を探します。

出身地が同じ、卒業校が同じ、住まいが同じ地区、年齢が同じ、職業が同じ…などが見つかると、一気に会話が弾んで距離が近づきます。

雑談テーマとして「木戸に立てかけし衣食住」というフレーズが有名ですが、これは雑談テーマになる11個の頭文字を並べたものです。

季節、道楽(テレビやスポーツ)、ニュース、旅、天気、家族、健康、仕事、ファッション、グルメ、住まい。

これらは共通の話題を見つけやすいテーマとして、雑談時に用いられます。

共通点を見つけることは、互いの距離を近づけるのに有効なのです。

職場において意見が対立した場合も、そこから距離を近づけることが大切であり、共通点は本来の目的を確認することでわかります。

介護の現場で意見が対立した事例があります。

介護施設で暮らす身寄りのない高齢者の方が食事が取れなくなり、胃ろうの造設を検討することになりました。

本人は「痛いのは嫌だからもう何もしないでほしい。」と言いましたが、認知があるため自分の状況が理解できていません。

それを聞いた職員の一部は、「本人が手術を望んでいないのだから、負担のない方法で終末期を過ごせるようにしよう。」と意見しました。

一方、「本当は長く生きたいと以前は仰っていた。命の尊厳を守るために、専門職としてできる最善のことを尽くすべきだ。」という意見が他の職員からあがりました。

2つの意見は対立しています。

入居者様に家族がいれば、家族の意向というもう1つの基準があるので、一緒に判断することができます。

家族がいらっしゃらない分、職員が家族に代わって親身に考えているからこそ対立したのです。

しかし、どちらもその身寄りのない利用者様に、「幸せな最後の人生を送ってもらいたい」という点は共通していました。

まずは共通している部分にフォーカスして、本来の目的に立ち返って、本人は本当はどうしたいのか、職員だけでなく、医師、ケアマネジャー、ケースワーカーといった関係者全員で話し合って答えを見つけました。

他の例として、関係が悪くなった人にアプローチする際も、共通点を確認すると良いです。

我慢が重なったせいでキツい言い方をされ、関係が悪化した同僚がいるとします。

まずはお互いの共通点を見つけます。

共通点は「お互いに関係を良くして円満に働きたい」という目的があることです。

あなたとの関係をもっと良くしたいんだよね。自分が気づかないことがあるから、溜め込まずに言ってくれるといいかもしれない。」と、同じものを目指していることを最初に伝えると、「私もあなたも同じだ」という共感が高まり、関係は修復しやすいです。

本来の目的を見据えた上で意見交換すれば、何らかのかたちで答えは導き出せます。

チームで物事を決めて行く際は、自分の意見に執着するのでなく、何が私たちの真の目的であるかということに執着することが大切です。

 

 

 

 

反対するときは代案を提示する

「その意見は違う」と対立する意見、反対意見を言うときに、特に代案がないまま、「それは違う」とだけ伝えることがあります。

「人手不足で休みがまわらないから、職員をすぐに採用しよう」という意見に対して、「今職員を採用しても教えることができないから採用するのはやめましょう」という意見が出たとします。

しかし、その意見には「人手不足で休みがまわらない」ことに対しての、解決策の代案は提示されていません。

代案がないのに反対だけする場合は、相手の気持ちへの配慮が足りず、相手を不快にさせてしまいます。

最初に意見を言った人は「だとしたら、人手不足はいつまで経っても一向に解決しないじゃないか」という疑問と不信が残ります。

反対意見を言うなら、人手不足を解決するために「業務内容を見直す」とか、「業務を効率化できる方法がある」など、何らかの解決策を提示できた方が良いです。

どちらかの意見を一方的に押し付けるのではなく、お互いが納得できる解決案を提案することで、近づいて話し合いが進みます。

万一、代案が用意できない状態であるが、それはちょっと違うなという感覚がある場合には、「これといった代案がないので悪いんだけど…」とか、「だからといって代わりの案がないので恐縮なのですが…」といったように、反対意見を述べる前にクッション言葉を挟むのがベターです。

 

 

 

 

 

断るときはクッション言葉を使う

相手の提案に対して断る場合も、反対意見と同じでクッション言葉を使うのが有効です。

特に、受容と感謝のクッション言葉を使うと、断られた相手の感情を和らぐことができます。

例えば、部下が問題解決するために発案した提案を上司が断るとします。

そんなときは「問題をよく見つけたね。(受容)色々と考えてくれてありがとう。(感謝)ただ、今は{予算の関係で}そのまま進めることが難しいから、違う方法を考えてみよう。(結論)」

このようにクッション言葉を挟むと、結論をストレートに伝えるときに比べて相手を尊重しているので、相手は受け入れやすくなります。

断る理由が予算の関係でなくても、カッコの中に{実現することが難しい理由}を入れて応用することができます。

その方が、相手の気持ちへの配慮がありますし、その配慮は相手にも伝わります。

良好なコミュニケーションとは、相手への尊重と配慮が根底にあるのです。

 

 

 

 

 

関係の修復がつながりを強固にする

意見が対立したとき、「こんなにぶつかり合ってしまったのだから互いに溝ができてしまった」と思うことがあるかもしれません。

または、意見が対立しそうになったとき「これ以上話すと、ぶつかり合ってしまう」と思って、本当に伝えたいことを抑えてしまうことがあるかもしれません。

そんなときは、「関係性が悪化したとき、それを修復することでその人とのつながりは強固になる」という事実を思い出しましょう。

ことわざで言う「雨降って地固まる」というものです。

ケンカをした後に修復体験をして仲直りすると、ケンカをする前よりも絆が強くなります。

これは家族関係や学校、職場でも同じです。

人体が傷ついた後に、修復されてより強くなるという仕組みは、科学的に証明されているものがあります。

そのうちの1つが、粘膜の再生です。

例えば、胃に穴が開いたとき、出血に伴いかさぶたがでて穴が小さくなります。そのかさぶたの下に肉芽ができて盛り上がって、さらに穴が小さくなります。穴の縁から細胞がつながって再び粘膜が復活しますが、このときの粘膜の構造は元の構造よりも大きくなっています。

他にも、修復されて強くなるものに筋肉の再生があります。

筋トレをして、筋肉に限界ギリギリの負荷をかけて筋繊維を傷つけると、自然治癒力で筋繊維は再生されますが、再生後は元の筋肉よりも、強くて大きい筋肉ができあがります。

これが筋肉増強の原理です。

人体と同様に、折れて傷ついた心も復活することで強くなります。

物凄くつらい経験、苦しい経験をした後に、心が平常心に戻っていくと、心が折れる前に比べてより強い精神力になっています。

「あんなに辛くて苦しい経験を乗り越えたのだから、ちょっとやそっとのことでは挫折しない」といった強さを備えます。

人間関係も同様に、傷ついた関係を修復した後は、より強い関係性が構築されます。

これは、修復するということが前提になっている話でもあるので、相手を見捨てずに、避けることなく、絶対に関係修復をしていくのだという強い決意を持つことが大切です。

ですから、心理的安全性があることがとても重要であり、強いチームとは、「思ったことを何でも言い合うことができ、言ってしまったことで非難されたり取り返しがつかないということがない」心理的安全性があるチームです。

 

 

 

 

多様性の時代

対立する意見を言うときは、笑顔で話すことです。

笑顔は相手を承認する表現でもあるので、「あなたの意見を尊重していますよ」というサインになります。

対立する意見を言われた方は、自分の人格が否定されたような気持ちになってしまうので、そうではないということを笑顔で示すことができます。

そして、話すときは心を軽くして話すことです。

相手が不愉快になるかもしれない怖れや、相手を傷つけてしまうかもしれない罪悪感、正しいことをわからせるべきだという正義感は心を重く硬くします。

そうなると、言いたいことを我慢したり、強い口調になって責めるような言い方をしたり、相手に同じことをしてみせて遠回しに伝えるようになります。

相手の気持ちは相手の問題であり、自分がコントロールできるものではありません。

コントロールできないものを何とかしようとすると苦しくなるので、それは相手の問題だと割り切ることが大切です。

また、承認欲求が強い状態は、人目を気にする傾向が強い場合があり、人から何を言われるかが気になって自分の意見を主張することができなくなります。

日本は調和と協調を重視する文化ですが、それが行き過ぎると同調圧力が生じ、周りと争いになることを嫌って、「自分の意見を言わない」「他人の意見を聞いてそれに追随する」というような主体性のない人が増えてしまいます。

変化のスピードが速く、マスの時代からいくつもの価値基準が生まれた現代では、ダイバーシティ(多様性)が重視されるようになりました。

商品開発を研究する際のペルソナ(仮想ユーザー)も、多様なライフスタイルと嗜好性の中から特定の人物に絞り込んで設定します。

これからの時代は、より多様な考え方と価値観を認め合える会社や人が生き残れます。

それは、個性が尊重されながらも、全体とつながりを持って調和している文化です。

意見の食い違いを怖れずに、自分の意見を主張しながらも他人の意見も尊重できることが、幸せに働き成功する上で大切です。

 

 

コーヒーを飲む時間帯は朝以外が良いらしいです

今回は、【【人生損する】やってはいけないモーニング&ナイトルーティン
について、にょろが学んだこと、経験したこと、実践しようと思っていることをお伝えします✨(*'▽')

有用性:★★★☆☆

今回のポイント!

コーヒーは朝食だったり、
朝起きて目覚めの一杯
というイメージがあると思います。

ただ、コーヒーを飲む時に
目覚めのタイミングだと身体に
とっては嬉しくないことが起きます。

DaiGoさんの動画によると、

朝起きてからすぐブラックコーヒーを飲むとインスリン抵抗性が悪化して、その結果血糖値をコントロールする能力が低下する可能性があるとのこと。

それにより血糖値が高めと
なりやすく、身体にとっては
嬉しくないんです(^◇^;)

なのでコーヒーを飲むとすれば
10時、昼寝前、15時が
ちょうど良いです♪

私のイチオシは昼寝前で、
カフェインが効き始める
タイミングで目覚めるので
爽快ですよー(๑>◡<๑)

まとめ!

朝起きてすぐに
カフェインを取ると
血糖値が高くなりがちで
身体に負荷がかかります。
カフェインは朝一は避けましょう!

📚メンタリスト流人生哲学~にょろの習慣(みこちゃん出版)

習慣について実践したことを中心にまとめてみました♪
何か一つはあなたにあったものが見つかると思います✨(*'▽')

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「ずるい仕事術」これは名著になるに違いない(*´ω`*)

皆さんお疲れ様です。
本日は本の紹介をさせていただきます。

佐久間宣行のずるい仕事術amzn.to
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テレビ東京であの「ゴットタン」や「あちこちオードリー」を企画したプロデューサーでもあり、演出家でもあり作家の佐久間宣行さん

テレビ東京から独立し出した本になります。

現在はYouTubeもかなり再生数も取れていて
界隈ではかなりトレンド

動画では、すこし横暴な態度をしていますが、すっごい頭のいい人だなぁというのがまじで読み終えた1言目の感想。

ずるい仕事術」というタイトルから分かるように
仕事の向き合い方などが書かれている世間で言う自己啓発本の部類に入るのですが、私は読んでいるた途中そんなことも忘れて読むことに没頭してしまいした。

テレビ業界で働いている人は変わっていると言われますがいい意味で変わっているところもあるけど先を見据えている故の行動であることを計算しているのはやはり想像力が相当高いんだろうと思う。

仕事でメンタルがやられたり、ストレス過多になりそうな時にもテレビ業界人らしいクリエイティブ思考を使って自分をコントロールしているあたりもさすがはテレビマンと言える

この本の中で私が一番いいなと思ったのが、いい所も悪い所も中立を考えて自分で行動するということ。

例えば他の仕事本でも「上司には気に入られた方がいい」ということを言う人がいるが実はこんなの上司の人間性や会社の環境で大きく変わり気に入られることは得だが必ずそうした方がいいことも無い。

これはプライベートにも関わったり自分の仕事とのキャパには関わってくることになるからだ。

佐久間宣行さんの本では「こうしたほうがいいよね、でもこういう障壁もあるからその場次第だよね」というこうすべき論が少なく、読者に正攻法を問いながらも判断できるまでのルートは与えるような感じが良かった。

本を読んでこのとおりにすれば上手くいくなんてことはありえないけど、タイミングは大事

大谷翔平選手のの読書術も話題になったが
本には必ず、反論本も存在してそれを両方読んで始めて自分で選択する これが知識の正しいインプットの仕方だと思う。

私はこれまで就職前にも
色々な仕事術の本を読んできました。

田端信太郎など読んだがこの佐久間宣行さんの
「ずるい仕事術」はかなり現場で活かせる

どちらかと言うと田端さんの仕事術は、前提として「ものをハッキリと言える人」これくらい肝が座っている人が前提になる。

逆に佐久間さんの本は、自分のマインドや接し方を考えるので自分で完結できる。

田端さんは=行動しなきゃ変わらない
佐久間そんは=自分の立ち回りを変えて周りを変える

日本人気質ならどう考えても後者の佐久間さんの方が参考になるし難しいことでもない

会社での立ち回り方は知っていて損は無いなと思ったしこれを生かすことが出来ればまさにずるい仕事術は可能だと感じた。

トップレベルココ最近読んでよかった本であり
仕事をしてあるサラリーマンなどにも1番オススメしたい本になっだ。